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言葉のチカラ


前に書いたかもしれないけれど、言葉の持つ影響力は、計り知れないと、改めて思う事があった。言葉を発する側も受け取る側も、性別、文化、年齢、現在の環境、病気や障害、気持ちの余裕、今まで育った環境など、いろいろある要素が入り組んだ中で、100%通じ合えることの方が、難しいことを忘れてはならないと気を引き締める出来事だった。

ややこしいのは、悪ふざけ、自己満足、嫉妬、プライド、理想のからみは、事を大きくしたり、より複雑化し、発信している側には罪悪感がない場合が多いので、個人的には避けて通りたい。小さい頃に、私は両親から暴言を聞いたことは一度もないのだけれど、大人になってから、裏でいろいろあった事を聞いて、ま、それは普通の家族の姿で、ただ、小さい頃に目のあたりする事がなかったのは、とても感謝している。

そして、小学生の私が一度、罪悪感もなく、近所の友達一人を仲間外れにして、仲の良い女子グループみんなで言葉の暴言を吐いてしまい、友達を傷つける結果を招いた。いじめ発覚後にすぐ、グループ全員の親が集まって、どういう事なのかと問い詰められ、夜には帰宅した父から、こんな娘を持って情けないと男泣きされた日を今でも鮮明に覚えている。

その逆もあって、人が何気なく発した言葉が、今でも自分の支えになっている事がたくさんある。きっと、他の人が聞いても、ふぅ〜んで済まされる、普通の言葉なのだけれど、当時置かれていた状況やタイミングによって、その言葉は、私に深く刻み込まれた。今まで何度助けられて、迷った時にうん、これなら後悔しないと指標になったか。しかも、その中のひとつは、留学していた時の寮のフロントのおばちゃん。よく話をする間柄ではなかった人だ。でも、当時は言われた瞬間に相手がびっくりする程、号泣した。

そして、今、犬を飼ったり、親になって実際思う事は、動物だから、小さいから、聞いていないだろう、理解できないだろうは通用しないこと。彼らは、判断材料が少ないからこそ、あるがまま、自然のままを受け入れて、空気感と表情(顔色)などから、敏感に汲み取ってしまう。そして、すべて自分のせいでこんな事が起きてしまっていると、自分を責めることから始めることが多い。

短期間だったけれど、幼児教室で働いていた頃に、たくさんのこども達に出会い、感じたことでもあった。その教室は、月謝が高い教室で、みなさんがとても教育熱心で、こども達の地頭も良かった。学校と塾、部活など、朝から晩までお休みもなく毎日頑張るみんなが、ふと事務の私に、先生あのね。。。と話してくれる中には、それはキミのせいじゃないよと思うことがあって、ちょっとしたすれ違いも、一生懸命、なんでだろう、どうしたらお母さんは喜んでくれるだろう、怒らないでいてくれるのだろうと、葛藤している姿を垣間見た。そこは各ご家庭の問題だし、他人の私が入るなんてもっての他なので、そうなんだねと聞くことに徹した。ただ、本当にびっくりしたのは、こんな忙しいのに、こんなに小さい子が、自分の甘えたいという欲望を抑えて、一番近くの味方の笑顔が見たくて、どうしたらと一生懸命に悩む部分が見て取れて、印象的だった。

本当にこれからもずっと気をつけたい、言葉の持つチカラ。そして、自分の子供にも、言い続けなければいけないと思っている。

posted by Asako | 11:45 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
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